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水戸徳川家初期と久昌寺

生前、光圀公の生母、久昌院夫人は、自らの生い立ち・側室としての人間関係等からか、水戸市向井町(現在は神応寺となっています)に、
禪那院日忠の指導により、經王寺を創建しました。この經王寺が久昌寺の前身であります。水戸藩史には、延宝5年(1677)、經王寺を
久慈郡稲木村に移し、靖定山禪那院久昌教寺と改むと誌されています。

ちなみに、現在の久昌寺がある新宿町は、元来は蓮華寺があった地です。ですから、明治になり蓮華寺と合併して、現在の地の久昌寺になったということで,本来は、現在地より数キロ山に入った稲木という土地にありました。さて、蓮華寺は、養珠院夫人(徳川家康の側室)が
頼宣(徳川家康の十男 養珠院夫人の長男 紀州徳川家祖)の水戸藩時代、水戸千波に本法寺(玉沢末)を創建、頼房
(十男徳川頼宣「紀伊徳川家祖」 十一男徳川頼房「水戸徳川家祖」の母が養珠院夫人)が水戸藩主になるや、佐竹氏発生の地であり、
佐竹氏の祈願寺大幢山金乘院勝軍寺を改宗し、久慈郡太田村に蓮華寺を慶長19年(1614)に創建したのがはじまりであります。
家康の室養珠院夫人は、徳川御三家の二家の跡取りをもうけた人となります。

この時、蓮華寺開山を心性院日遠上人とし、2世を了雲院日實上人とし執務に当たらせたのが、延山24世顕是院日要上人でした。
このように家康の室養珠院夫人は、徳川御三家の二家の跡取りを創り、その精神的支えを、延山22世の心性院日遠上人に求めました。
養珠院夫人と心性院日遠上人との関係は、これ以後、日蓮宗の教勢に多大の貢献を果たしたのです。

心性院日遠上人は、慶長4年(1599)28歳で飯高檀林第4世化主に就位した高僧で、その会下には、禪那院日忠・智見院日暹・
顕是院日要・妙心院日奠・隆源院日筵等の高僧があり、常陸の地には多くの貢献をしています。常陸の地というより、養珠院夫人
・光圀公への貢献というべきかもしれません。
① 智見院日暹上人は鷹峯・小西化主、本満寺11世・延山26世を歴任し、慶安元年5月に遷化しましたが、光圀公が7歳の時に
  本門大戒を受けております。つまり光圀公の師僧です。
② 顕是院日要上人は、中村9世、洛妙伝寺6世(在中法性院日勇得度)・小室妙法寺11世、延山24世(元和元年39歳)を経て、
  元和9年(1623)7月5日48歳にて遷化します。常陸太田郷蓮華寺を創建の時の企画者です。その証拠として、元和3年(1617)5月13日に、
  蓮華寺客殿建立の折、顕是院日要上人より、日實上人に授与された本尊1幅が、現に久昌寺に所蔵されていることからも窺われます。
③ 妙心院日奠上人は、中村9世、滝谷妙成寺世・延山28世、寛文7年()10月13日67歳遷化。光圀公の生母久昌院夫人が
  寛文元年(1661)11月14日江戸水戸藩邸にて没した時の導師(奠師法縁祖)で、堀之内妙法寺・谷中瑞輪寺・金杉圓珠寺を式衆にて厳修、
  長男讃岐高松藩主松平頼重の請により、身延山丈六堂に墓所を建立することを許されています。さらに高松に久栄山広昌寺を
  寛文5年(1665)に創建、永代上人跡の寺格を允許されています。
④ 隆源院日筵上人は、小西11世・中村10世、玉沢妙法華寺19世・妙顕寺17世・寛文7年(1667)延山29世。養珠院夫人・加賀前田家壽福   院夫人の多大の外護を受けるのです。久昌寺三昧堂檀林化主に就位して、発展をさせ中興といわれる勝光院日耀上人も、在任中にその  会下に入っています。寛文12年(1672)、寂遠院日通上人に譲位。延宝7年(1679)谷中瑞輪寺にて遷化。一円院日脱に譲位遺言します。
⑤ 寂遠院日通上人は、元和元年(1615)京都に生まれる。見性院日顔上人についで、法性院日勇上人に師事します。明暦元年(1655)京都   妙伝寺に瑞世。明暦2年(1656)山科檀林にて台乘を講じ、寛文元年(1661)京都葛野郡下山田に真如寺創建。鷹峯・飯高15世寛文8年    (1668)池上本門寺に瑞世・延山30世。師法性院日勇を仰ぎ、勇師法縁とします。延宝5年(1677)、久昌寺開堂供養の導師で、久昌院心  周日匀大姉17回忌の導師。延宝7年(1679)谷中瑞輪寺にて66歳遷化をします。
⑥ 隆源院日隆上人は、中村24世・本圀寺20世 貞享2年(1685)4月より貞享4年(1687)10月まで久昌寺檀林化主。元禄5年(1692)8月23日
  久昌寺へ入山します。入山式が行われた、初めての歴代久昌寺3世となります。光圀公はこの時、京都本圀寺と両山一寺として、
  隆源院日隆上人を迎え、9月5日京都へ向かう上人を、西山荘より2里の額田宿まで見送ります。かくして大僧正に任ぜられ、元禄11年    (1698)3月5日遷化となります。


日蓮宗における光圀公の行蹟

光圀の行蹟は、宗内的には、元禄年度の不受不施義寺院弾圧への擁護支援・身延山の外護と支援(身延山日脱の賜紫 智寂院日省の身延就位等)です。
久昌寺三昧堂檀林からは、寺院創建・檀林建立・法華懺法講式の大成・祖書編年体編纂となります。


光圀公に影響を与えた日蓮宗の高僧

光圀に影響を与えた人々は、祖母養珠院夫人が元になり、生母久昌院夫人となりますが、宗内では、心性院日遠・智見院日暹・禪那院日忠・
僧那院日豊・元政院日政・寂遠院日通・一円院日脱、さらには、隆源院日隆・禅智院日好・勝光院日耀・智寂院日省・常寂院日周・大中院日孝、
そして皆如院日乗・遠成院日近となります。
そのほかにも、唯本院日演・取要院日言・中道院日春・信解院日従・鏡妙院日宗・南無院日妙・寂如院日迨・壽遠院日遵・恵遠院日遙等、
その法縁の高僧は多彩です。

石 川 教 道 述