お寺(久昌寺)の考え方(姿勢方針)

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2 お檀家の人だけのお寺ではなく、すべての人々の求めるものに応えようとするお寺にしています。

久昌寺のお布施(費用)はお寺の維持のためのものです。多くの方々へお寺としてすべきことを円滑に行っていくための維持費として、
皆さんから頂いています。その点は充分理解を頂くよう努力しています。

お寺ができることは、自分を見つめる機会をみなさんへ与えることです。見つめるためのいろいろな機会がトップのページに掲げている項目です。
元来の
お檀家と呼ばれる人々のお寺でもありますが、困った方・供養をしてほしいという一般の方々に応える多くの窓口を持つお寺にするよう努力しています。
よって常に多くの人々がお参りに来られているお寺です。

4 お寺の姿勢と行動が、宗教と信条を現すお寺です。

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時代と共に、頭を下げることがなくなりました。自分の主張を通す時代はよいのですが、自分の非を認めない。自分からへりくだることを忘れ出しました。
久昌寺はすべての人々に頭を下げる場所を提供し、もう一度自分を見直す機会をみなさんに提供するよう努力しています。
よってトップページに掲げている皆さんへのお応えは、すべて人間としてすべきことの場を皆さんへ提供するためのことと考えています。

3 費用(お布施)等の金銭は、お寺の施設等、皆さんの精神的環境を創るものに還元し、お寺としての永い維持管理に努めています。

1 お寺から「有り難とう御座居ました」と、久昌寺を訪れるみなさんに感謝をするお寺にしていっています。お寺自ら感謝を実行し、みなさんにそれを訴えるお寺として努力しています。

お寺の応対・態度・姿勢がそのお寺の宗教を顕しているものです。何々宗だから・何々教だからで宗教を決める時代でなくなりました。
お寺の姿勢・態度・方針がそのお寺の宗教を顕していることを念頭に努力をしているお寺です。

久昌寺は皆さんの反省の場、再出発の場、立ち上がる場、忍耐を教える場を提供するよう努力しています。

宗教は人間にとって大変大事なものです。しかし、人に言えない・人に隠さなければならない宗教は
どんなにすばらしいものと思っても、よく考えてから決めましょう。