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                      水戸光圀と西山隠棲

元禄3年(1690)、光圀が62歳、水戸藩主の地位を養嗣子綱條に譲ります。寛文元年(1661)父頼房の死去により
光圀は水戸藩2代の主となりましたが、兄頼重(高松藩主)を差し置いて水戸藩を嗣ぐことの心苦しさを回避でき
ないでいました。第3代藩主を兄の血統に嗣がせることができたことは、光圀の心の重みを軽くすることであった
のです。
身軽になった光圀にとって、人間光圀の豊かな生活が始まるのです。元禄4年(1691)5月、西山荘の屋祈祷
(家祓い)を終え、水戸中屋敷より光圀の西山荘での新生活が始まります。

元禄4年(1691)6月1日、西山荘隠棲記念として、光圀は、久昌寺に明版大蔵経を奉納します。その箱書きを
佐々宗淳らに命じ、七日間をかけ完成させます。

石 川 教 道 述