お葬式に信頼できるお寺を頼みたい

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急に身内の人が亡くなると、今まで考えてもいなかったことがたくさんでてくるものです。葬儀屋さんが必要になりますし、お経をあげてもらうお寺の住職も必要になります。今は核家族ですから、いざ家族は、ほとんどが地方に実家や田舎を持っており、新たに人の死について考えなければならない方々が多いのが現状でしょう。

葬儀屋さんは、今は病院にて紹介してくれるところが多いので、何とかなりそうです。しかし、その葬儀屋さんとて初対面ですので、どれだけ信頼できるのか不安なところもあるのが現状です。お寺についても、その折り、葬儀屋さんが紹介をしてくれる場合もあります。これとて、初対面ですし、不安なところも多いのです。

そうなると、こうしたことになる以前に準備をしておくことが必要となりますが、なかなか気が乗ることではありません。

そこで信頼できるお寺の選び方の最低条件は、
                   
 @ お寺の場所がはっきりしていること                           A 名前と住所もはっきりしていること
              B 今後、希望すれば、忌日年回供養も依頼できること
              C 仏事供養ができるお寺をもっていること
              D お寺にもお墓があること

次ぎにお葬式の考え方について、述べておきましょう。

お葬式となると、お金がかかることです。なんでこんなにお金がかかるのか。誰が決めたわけでもなく、日本全国多少の違いはあるにしても、供養にはお金がかかります。

なぜか。

人間は裸で生まれてきます。そして、どんな人でも、何も持たず、死んでいくのです。預金通帳も不動産の権利書も、大好きなすべてのものも置いて死んでいくのです。これを昔は世間様にお返しをして死んでいくと言ったのです。この世で稼いだお金やものはその人が一所懸命に生きた努力と証そのものでした。死んで持って行けないので、それを残った家族は故人の替わりに、お返しをする始めが、お葬式の姿でした。お葬式には、みんなに供養といって、物やお金を振る舞う(施す)のです。振る舞うことがお返しであり、故人の生きた証だからです。ですから、お葬式は故人のお返しの場であったのです。お返しが大きければ大きいほど、故人の努力と証の大きさを顕していたのでした。

時代が変わり、このことがわからなくなりました。時代の流れで致し方ないのかもしれませんが、家族の死は大事に受け止めたいものです。自分もいずれは迎える道ですから……。

生きていることは欲の始まりです。欲をかいて欲をかいて、死ぬときお返しをしていきたいものです。お葬式はお返しの場と考えましょう。だからといってお金をかけて下さいといっているのではありません。お返しの心をもって、お葬式を考えて頂きたいということです。

最後に、お葬式を依頼した場合のお布施について、15万円〜です。

宗教法人・日蓮宗  久   昌   寺
     〒313-0007  茨城県常陸太田市新宿町239                           電話0294−72−4888

ご希望の方は、下記へご相談下さい。